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そして ♪フレンズ

2022/02/06 東京国際フォーラム

それは、好みの感覚の話である。

オリジナルのバージョンが良いのか、間奏がオーケストラバージョンが良いのか。

もちろん、真梨子さんがそうしたいと選んでいるという視点もある。

初めてフレンズが歌われたのは、

1995年9月30日の新宿・東京厚生年金会館である。

その歌詞は「赤く赤く」であった。

その後「修羅のごとく」になり、

99年のフレンズまつりでは、ペーパームーンオーケストラのストリングスのバージョンになっている。

その後、この音源をもとに演奏されることが多かった。

そして、2019年のMari Coversツアーではセットリストには入っていないものの、

出演番組で何度かオリジナルバージョンをコンサートとは分けて歌われている。

お母さまが亡くなられて20年の歳月が、親子の軋轢を消し去ったのか、お母さまの好きな歌詞に戻したのであろう。

そして、2021年1月2日のWOWOWスタジオライブでは、明らかにこの「修羅のごとく」バージョンを意識して組み込んでいる。

私はその時のコメントに、

 そんな枯れた感じが、「for you...」のト書きの部分のフレーズにはよく似合う。

そして「フレンズ」は、原曲の「赤く赤く」の元詞のフレンズの編曲のまま、2ndVersionの歌詞「修羅のごとく」であった。

なんといっても、間奏の管楽器の音色がいい。近頃のオーケーストラバージョンのダイナミックな「フレンズ」ではない。

 まさにジーパンとぼろいアパートの部屋を想起させる青春物語そのものである。​歌詞の中のそのシーンを、枯れた感じがセピア色に綴っている。

​と書いている。

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(c)WOWOW 20210102 撮影 田中聖太郎氏
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私が思うに、フレンズのモチーフは、やはり早くに亡くなられた、大津あきらさんとの関係なのだと思う。つかこうへいさんの劇団員で、演出も担当していた後に、作詞家としてデビューされた。作曲家鈴木キサブローさんと、真梨子さんにバラードを提供し始めたのは1979年。ソロデビュー後まもなくである。

​ 何かを表現したい情動にかられる劇団員。

貧乏暮らし。でもそこには明日への希望が必ずある。常に、人の生き方とは何かを見つめ続けている。朝まで、作品について語り酒を飲みかわす。時折、苦しい絶望の淵に迷っても、朝日がいつか彼を照らしていく。

架空だけれど、そんなモチーフだ。

忘れがたい青春。亡くなられた真梨子さんのバンドマンのお父様、管楽器が得意だった父の演奏。​あの「Unforgettable」の間奏は、ムーンライトセレナーデの管楽器の調べである。

それは、若き日に音の調べに魅せられた父とスターを夢見て17歳で上京した娘との、幻の競演なのだ。だから、それと対比されるかのように、「フレンズ」では万照さんの素朴な間奏で、その時の流れを表現している。     どちらのバージョンが良いかということではなく、すでにそこにはごく自然な演出があると、私は思っている。

もう少し言えば、オーケストラの第一ヴァイオリンのソロ演奏の魅力は、真梨子さんの曲では「無伴奏」の間奏である。

だから、香港公演後の日本武道館フレンズまつりのポイントは、あの間奏にあると思う。

そして、祭りなので、合わせて「フレンズ」でもドラマ仕立てに、ダイナミックに青春を描いたのだろう。「無伴奏」は、歌詞通りまるで映画みたいな心象風景を描く曲だからである。

Last Date。

装飾のラメが入っても、真梨子さんの衣装の基本の色は赤。情熱の色である。

そして、背景は薄紫から、ミッドナイトブルーへと変わる現実の冷たい色である。

いつもの、情熱と現実のはざまで、満点の星が輝いている。そしてリフレインのラストの部分では、背景が白んでそして徐々に赤く輝いて朝日を表現してくれる。

そんなにドラマチックではない、でもひたむきに生きてきた、多くの人に贈られる曲のメッセージ。それがオリジナルバージョンの「フレンズ」なのである。​

(2022/02/06  02/07改訂)

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