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July.26.2015 東京国際フォーラム Vol.2
空蝉の季節
これは取り上げづらいテーマである。
でも、そういう感覚になっているのだから表現しようと思う。
5/27 に、「ClaChic」がリリースれされて、初めて聴いたその昼からどうしても違和感がある。
「旅の宿」である。 リアルタイムに、よしだたくろうさんのオリジナルを聴いているし、もちろん「結婚しようよ」のイメージからすればオリジナルも異質な路線であったが、まさしくカバー作品として全く別の作品に仕上がっている。
それは、感覚的に言えば、この曲に登場する彼女はこの世にはいないという感覚である。
40年前にその宿を訪れたカップルが、幸せに結ばれた。
しかし妻は先立っている。
まるで蝉の抜け殻のようになった、その悲しみも癒えた夫が、その宿を40年ぶりに訪れる・・・そういえば、あのとき、君は浴衣を着て美しかったね・・・・
君と過ごせて、自分は幸せだった・・・・
でも、もっと生きていてほしかった・・・・何もしてあげられなかったから・・・
それはCD収録の曲の終わり方が、突然途切れたように終わることからも感じられるのである・・・
そんなシーンにどうしても聞こえてくる。
間奏の切ないメロディーも、そしてステージのライトも、蛍が舞い、艶っぽい夏の宿での恋愛の距離感を描くイメージのようにはとらえられないのである。
たとえば、亡くなった人が黄泉がえり、残された家族と夏を過ごすというさまざまな日本映画を思い出す。風間杜夫さんの「異人たちとの夏」は、亡くなった父母の若かりし頃の時代にタイムスリップして親の愛情に触れる話。竹内結子さんは、「いま、会いにゆきます」で、ぼやっとした夏のもやのようなカメラワークの中で、あの世から夫と子供に逢いきて約束通りあの世に戻っていく。
かつて、「 life 」の背景の光の動きが、盆の迎え火と送り火に見て取れたように、そして「far away 」が、亡き人を野辺送りする歌であったのに、突然の別れに直面して亡くなっていく人からの思いにすら聞こえてくるように。
すでに、この彼女はこの世にいない。ロマンチックな感覚とは違うように思えてくる。
コンサート「優美彩唱」 でも表現されたように、色は音色 である。
そして、「Painter」で、5色のライトが、まるで迷える心を表して、様々な角度から真梨子さんを照らしてナチュラルホワイトのライトの渦で存在を際立たせていくように、実はモノトーンの世界も音色になっていく。
真梨子さんを後ろから照らす、ナチュラルホワイトのライトもいろいろとグラデーションをつけながら、会場内に溶け込んでいくのだ。
かつて私は、こういうコンサートでの体感を、「空蝉の世界観」 に似ていると感じて表現してきた。その、モノトーンであればこそ、時間と空間をセピア色の永遠に変えていくことができよう。
現実の世界にいながら、ある意味見えないことで非現実とされてしまう魂の存在。
それをしっかりと感じ取らせる「旅の宿」である。
そして、2011年以降、こういう感性に触れていくことは、生への畏敬にとって大切なことではないかと思っている。そしてこれは、まさに日本人の、昭和的で、心理的な原風景ではないのかと。
いつも、夏のコンサートになるとこんなことを感じてしまうのだ。
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