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1997年香港公演

香港博覧中心

(Hongkong Convention & Exhibition Center 1997/10/31)

ここ数年真梨子さんは、お母様との過去の葛藤についていろいろと悩まれ、いろいろと語られている。特に、「フレンズ」に関してお母様の好きな元の歌詞に戻して歌われる機会も多い。当事者にしかわからないことをコメントできないが、あえて言えば、失われた時を償うかのような感覚である。

東京厚生年金会館がメインの時は、よくお母様が会場にいらしていたのを覚えている。

体調を崩されても車椅子で来場していた時のことを思い出す。

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もう香港公演から20年かと思うと時の流れと、その間の真梨子さんの活躍が素晴らしいことを体感せずにはいられない。

1996年11月28日の東京厚生年金会館で、ステージ上の真梨子さんは明らかにおかしかった。

風邪?かと思ったが、途中椅子に座りたいと訴え、ヘンリーさんがすかさず「胃に来ている」とお話された。今思えば、さまざまな症状の出始めた頃だ。当然、開設間近のペーパームーンも6ケ月間期間が延長となり、休養となった。

そして、翌春の初めてのペーパームーンパーティで、香港公演があることを発表されたのである。

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10/30朝

成田全日空ホテルのレストランで、真梨子さんのお母様と偶然に出会った。

真梨子さんの叔父様と福岡のお知り合いの方たちと坐っておられた。視線が合うとアイコンタクトをしていただいた。

空港までのバスのなか、出発ロビーなどお話はしていないが、その暖かい人柄に触れることができた。

10/31の香港の市内観光も昼食もツアーに参加され明るくお話されていた。その夜のコンサートでは、ツアーの会員と同じプロックで鑑賞されている。

​tiptop

ハッピーエンドは金庫の中

ヒラヒラ淫ら

 

君の海に

はがゆい唇

遥かな人へ

 

五番街のマリーへ

桃色吐息

軌道

フレンズ

 

HBP

 

Excuse Me

背中から撃たないで

Stop my love...

ごめんね

for you...

グランパ

無伴奏

海色の風

香港博覧中心は言ってみれば大きな体育館である。椅子もパイプ椅子。このコンサートのオープニングのVTRでの編集は素晴らしい出来である。

当然舞台もシンプルであったが、真梨子さんがそれまではほとんど楽器を手にしていなかったのに、エレキギターを引いたり、アルトサックスを吹いたりと、ヴォーカリスト高橋真梨子としては、かなり弾けたような変化であった。

その「tip top 」コンサートのセツトリストは左のとおりである。

開演時間が20時ということもあるし、日本でのツアー開始前の特別バージョンということもある。後半にメイン曲が詰まっているセットリストである。

特筆すべきは「無伴奏」である。体が震える熱唱であった。いまもぞくぞくしてくる。

この曲にバイオリンの間奏が実現するのは、日本武道館までないが、あの香港の夜景が海面に漂い、本当に映画のようなワンシーンを聴かせてくれた。

帰国後の秋の東京厚生年金会館でペンライトの演出がVTRで使われた。

あの香港の夜景の中に真梨子さんの歌声が溶けていったのではなく、香港の夜景が真梨子さんの描くseenの中に、溶けていったのである。

翌日は映画「慕情」の舞台となったレストランヴェランダでのランチパーティ。真梨子さんまで5メートルのテーブルであった私はカメラ嫌いの真梨子さんが視線を向けてくれた写真を取らせていただいている。

お母様への花束プレゼントなどもあり素敵なパーティであった。

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ペーパームーン

紙でできた月。映画のタイトルにもなっている。でも、もともとは大きな木製の月の形をした物に乗って、家族写真をとるために造られたものでもある。欧米の富裕層のステータスを語る家族写真に必要な道具でもあった。

ヴァイオリン

小さい頃から習わなければ習得できない楽器。

ともに、お母様との葛藤を抱えた真梨子さんとは別世界のものである。

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お母様が亡くなられた後、ペーパームーンの「フレンズまつり」で、第一ヴァイオリンが、「無伴奏」の間奏を切なく奏でた。

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香港20年。

「無伴奏」と「フレンズ」が今年のコンサートのメインにある意味をかみしめたい。

(​2017/06/08記)

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