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窓に映った人
2022.11.09 東京国際フォーラム
「いよいよこのツアー、ラストの東京です.......ツアーに出るのが疲れるんでラストなんですけど.....来年50周年なんですね、何で50周年までやらなかったのかってなるんで、東京ならって言ったら、........ほかでもやらないと...ということで、近いところをふくめて、来年なんかやります!!。」
もちろん、オープニングから総立ちの雰囲気に触れて、リラックスした真梨子さん。
最初のMCで、ゆっくりと話始めて、ついに
あらためて心に決めたことを発表してくれた。
確かに、本日の収録は新春にWOWOWにて放映されることもお知らせされているし、そのタイトルは「高橋真梨子50周年企画」であり、またLIVE盤のCDリリースも、MCを含めて収録することで、2023年3月10日のデビュー50周年に先がけてのリリースであると銘打っている。
それは安堵の瞬間であった。また、途中のMCでの、岩谷産業さんへの感謝の言葉と牧野会長へのお礼の言葉は、期待通りのプロジェクトがビクターで進行していることをうかがわせてくれた。
11列の左ブロック。
真梨子さんまで18メートル。
ゆるやかなスロープと品のよいファン。
視線を遮らない空間。
まさにLIVE感覚に包まれる席である。
心のつかえがとれた真梨子さん。
とにかく、声が弾んでいる。
明るい。そして可愛い。そしてSHARPである。
透明感が半端ない。
少しいたずらな高校生の男の子みたいな
80年代の声質も聞き取れる。
思わず、「ジョニイへの伝言」で目頭が熱くなってしまった。
その歌詞の描くシーンを、俯瞰している主人公がいる。そんなこともあったよねと、真梨子さんが、今までのコンサートツアーのことを語っているかのように聞こえてきた。
そしてあのフレーズである。
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とにかく
「桃色吐息」が可愛い。
「ごめんね」の出だしが、とても綺麗。
そして、私がライブ3曲と言っている、前半ラスト。
そのつややかで、恥じらいのある表現は、40代の真梨子さんの歌唱である。
いつしか、NEW YORKの夜景が浮かんできた。
そして、「地下鉄の窓に映った名前のない人たち」のphraseである。
(c)THE MUSIX まりスタ
(C)壁紙館さんより
なぜ真梨子さんはこの♪「君と生きたい」を大切にしてきたのか。
詞のモチーフ、そして一見絵空事なのだけれどそれを現実の世界のように歌い上げる真梨子さんのこだわりなのか。
そして、もう一つ。
それは「映った人」なのだと思う。それは何度も書いてきたこの言葉だ。
真梨子さんは自分のことを「私は、普通の女性で、高橋真梨子というのはみんなが作ってきた存在。私は、そのコンサートの中の一員なんです」と。
まさに、それは、広瀬まり子さんにとって、「高橋真梨子というアーティスト」はこうであろうという、自分の大切にしてきたものを表現していく存在対象なのだ。
それは、まり子さん自分自身がスクリーンに投影した自己なのである。
そして、投影したからこそ、それへのこだわりが強くて、そして真摯であり続け、命を削って勤続疲労になったのも事実である。
それは、コンサートの直後にお目にかかった経験があるからこそ言えることである。
疲れ切っているのに、
暖かいまなざしで挨拶してくれる真梨子さん。
いや、そこにはコンサートを創っている、まり子さんがいた。
私は、地下鉄の窓に映っている真梨子さんをずっと応援してきた。
そして、まり子さんは感じたのだろう。
鏡や窓に映った自分を、どんなに笑わせようとしても、その姿は決して笑わない。
まず、自分自身が楽しまなきゃと。
まず自分が愉しみ、その楽しんでいる姿を観客に見せて、そして一緒にコンサートを作るのであれば、スクリーンに映った自分も明るく笑っていけると。
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2011年の絶不調のツアー。命を削ってたどり着いた、2011年のラストのフォーラム。
アンコールで、「ジョニイへの伝言」を唄い出した真梨子さんの目線が、4列目の自分と偶然合った。
その時の一粒の涙とは異なる今日の熱い思い。
いままでのコンサートツアーを大きく俯瞰して
一つのphraseを大切に、そしてどこか朗らかに歌い上げる生気のある真梨子さんの歌声に、
心が揺さぶられる夜会であった。
アンコール後の初めてのカーテンコール。
そして、感動のプレゼント。
私たちは、「別れの朝」に、
永遠の恋人を見送ることは決してない。
帰りの東京駅は、明日への希望を感じさせる、
また陽が昇っていく、
そんな少し「うれしい予感の夜景」であった。
それは、
「高橋真梨子50周年」への
大きな期待の「始まりの夜」でもあった。
(2022.11.09記載)