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2022年の「The Road」 9曲目の述懐
2022年はできる限りコンサートを鑑賞したいと思っている。4/3の高崎芸術劇場で、すでに予定の半分近くを鑑賞したので、少しまとめたいと思う。
それは、「真梨子さんの述懐」である。
もちろん、公式的には自分のことを書いたとお話になる曲は少ない。
しかし、ある意味私小説的な楽曲がアルバムに含まれていることを読者の方は気づいているはずである。もし、初めて気づいたというならば、今日からさらに、より「高橋真梨子の世界」に近づいてほしい。
もちろん、切り取り方はいろいろとある。
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今回、真梨子さんが「The Road」をラストに持って来たことはごく自然として、やはりこれまでのコンサートツアーでは、一人の女性としての真梨子さんの気持ちが随所に表現されてきている。
そして、その曲はそれぞれの収録アルバムの中ですべて9曲目に収録されている。
BLUESette 家
musee 貴方と
SOIREE The Road
Katharsis 約束
(c)VictorEntertaiment musee 2000
まず聴いてほしい。
1987年リリースのBLUESette「家」。
このころは、1年だけと言いながらずっとコンサート活動を続けてきて、アルバムDearの完成 そして、決して意図した楽曲とは違うけれど「桃色吐息」のヒットで、まさしく黄金期を迎えようとしている時期である。
「なつかしい いなか言葉 忘れない どうしてる ?」
「あと少しの我がままを 許してよ」
こんなフレーズでは、お母さまとの葛藤があったことはは感じられない。
ごく自然に受け取れるフレーズである。
と同時に、仕事として歌っているそんな真梨子さんの独特の仕事観が見えてくる歌詞である。
そんな真梨子さんが、自分自身のことを二人称として歌ったのが、2000年リリースのmusee「貴方と」。
一見すれば、恋人へのメッセージとも受け取れるこの歌詞であるが、実は、広瀬まり子さん本人がアーティスト高橋真梨子として、これからも「使命」とともに歩んでいくという強いメッセージを表現しているのである。
96年以降の体調不良。そして、精神的な葛藤。もともと、葛藤の底に隠されてきた「歌に救われた」「歌が自分の聖域」という想いがあった。それに対して、誰かのために唄っているつもりではないのに、真梨子さんの歌に癒されたという声が大きくなるにつれて、そんなつもりはなかったのだがという素朴でささやかな抵抗があった気持ちを、新たな決意に変えて表現した歌詞なのだろうと思う。
「不思議だけれど 太陽に向かって歩いて行けば解る
絶対 自分で自分の 影を踏めないの
だから自然に誰もが 前を向いて歩いて行くのね
貴方のそばで私も やれるだけやるよ
そう 前向きになる
ずっと 生きてく 貴方と 」
このあなたは自分自身を指している。
そして、その生き方は無理はしない、媚びない、そんな自然体なのである。
(c)VictorEntertaiment Katharsis2018
2022 ourDays
そして、その後真梨子さん自身がオリジナルを唄えなくなっていく感覚にとらわれたのも事実である。このあたりのことは、このウェブサイトでいろいろと記述している。体調の大きな変化もある。
くしくも、2011年は大きな転機でもあった。
当然前年から、収録曲を考えてきたわけだし、作詞は本人だから、ある意味、「The Road」の中では、自分自身のまとめとしての時期に来ていることを感覚的に何か表現したかったのだと思う。
この年初めて、体調不良でコンサートをキャンセルするということも起きた。
まさに、一つの区切りの歌詞であっただろう。
「やるだけやってみれば 水が流れるように
流れに寄り添い 揺れ動き続けた 」
その意味することは自然体の中の葛藤である。
もしかしたら、あの震災がなかったら、真梨子さんがステージを降りる時期は、もう少し早い決断であったのかもしれない。そして、お気づきの通り、1曲目は「ありがとう」である。
しかし、ラストに収録されている曲は
インストゥルメンタルの「明日へ」であった。
それは、もう少しという意思表示でもあった。
だから、2022年のコンサートは、このことを再現しているかのようである。
そして2018年リリースKatharsisの「約束」。
自分のことを二人称で語ってきた広瀬まり子さん。
しかしこの曲では、アイツの三人称である。
「アイツは突然 唄うのをやめてしまった
無限の天と地が放つ 'カオス' 」
「約束したじゃない ずっとずっとそばに居るって
絶え間なく聴こえる Yesterday voice 」
そして
「流星が燃やすものを 失ったその刹那に
自らの身体へと帰りゆく 生命のstar 」
「約束したじゃない 唄うのは愛すること
すべての愛だと Yesterday voice 」
と述懐している。約束したのは、2000年だ。
まるで、自分のステージ人生を俯瞰して眺めてみたとき、その時の感慨をある言葉で表現したかのようだ。
それが、舞台演劇を見て自分の感情を昇華させていく「Katharsis」である。
これがアルバムタイトルの背景だと感じている。
そして、そう、感謝の気持ちをもってあと1年はなんとかと。それが、2019年の MariCoversであった。
何度も書いている通り、BAD BOYの
「ただの女が去っていく」にメッセージが込められていた。
2019年11月の高崎芸術劇場の伝説のコンサート、
帰りの新幹線の中で、真梨子さんは「すでに決意している」と私は感じていた。
こうとらえれば、2020年のメッセージ曲はまさに、その後の感謝のことばの追伸のような位置づけになるであろう。
以上が、高崎のコンサートの後に浮かんできた文章である。実は、真梨子さんに刺激を受けて、まだまだやりたいことがたくさんある。やれるだけやってみようと。
それは、このウェブサイトの改訂だけではない。
真梨子さんが普通の生活に戻ることを自分で許したように、私自身も壁を作るのはやめにしておこうというものである。
(20220411記載)