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97年以降についての記述のスタンス 2020/12/21 文責 MDF
このホームページは、あくまでも高橋真梨子さんの音楽活動に関して体感した感想などを中心にまとめたものである。だから、極力本人のプライベートなことに関しては触れていない。
そして、96年後半からの体調不良に伴い、音楽活動が円滑に進まなくなった時期についても、それをことさら大きく取り上げるつもりはない。
2008年以降、SONGSや民放番組で、真梨子さんの育った家庭環境や様々なことを取り上げて、本人に述懐させることがあった。それを見て、感動したという声も聞いたが、私は特にSONGSの制作方針を批判した。
それは、余りにも真梨子さんをお涙頂戴の歌手に仕立て上げて、だから今の熱唱があるというような過剰な演出をしたからである。わざわざ亡くなられたお母様の住んでいた部屋にまで真梨子さんに行かせている。
真梨子さんの音楽活動をどうして真正面からとらえないのか。歌手は自分の人生を歌っているのだという何か安易な誤解をしていないか?
そもそも真梨子さんは、歌の世界、詩の世界観に感情を極力込めない。だから、そういうシンガーの生い立ちを涙仕立てで取り上げてどうするのかということである。
もちろん、体調不良からファンクラブのスタートも実質遅れ、その6か月間が想像を超えていたのは、事実である。しかし、それを知ったのは、後年のことで、これ以降も2022年までステージに真梨子さんは立ち続けて行くのである。
そして、今も飽きられない存在であることからも、押し付けない歌い方であることはわかるであろう。
「では、おたくはどう表現するの?」と聞かれるだろうから次の答えをただ淡々と整理しておく。
ここからの真梨子さんの体調不良そして、戦い続けてきて、時に命を削るような生き方もされたのは、こういう背景からである。
ひとつは、女性の生涯における生体的なリズムの変調期。あわせて、肉体疲労からくる通常の生活が行えなくなるくらいの体調ダウン。更に、お母様との過去の確執による精神的なフラッシュバックと鬱症状との葛藤、お母様の野辺送りに伴うその葛藤への悔恨。そして、歌う道を残してくれたことへの感謝と歌手としての使命がより大きくなっていくことへ、期待に応えられるかどうかという体調面の不安、シンガーとしての孤独。
このようにまとめてみた。
そして、私が表現したいのは、過去がこうであったからだということではない。
そもそも人にはそれぞれ果たさなければならない「果たし」がある。「つとめ」がある。それを体感できるから、乗り越えて前を向いている真梨子さんの姿に私は共感してきたのである。
ここに4つの画像を載せる。
96年のコンサートの画像、そして少し氷のような感覚のペーパームーン入会案内の画像と97年のプロモーション盤。そしてグレースソフィーナCMの2002年である。
過剰な演出で表現しなくても、
この4つの画像を見れば、真梨子さんファンならば、真梨子さんが乗り越えてきたことを体感できるであろう。
そして、これ以降の24年間、真梨子さん自身も大きくパラダイムシフトして、コンサート活動を続けてきたのである。