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BEST盤についての一考察

2007/9/2に、真梨子さんのベスト盤が発売される。いろいろとその企画や収録内容の予測について意見が分かれるところであるが、私も一考察してみたい。

真梨子さんのベスト盤については、実はいままでBOXや全集をふくめて、22タイトル(だと思う)も発売されている。特にびっくりすることもない。
実は、私は全部持っていると言いながら、全集は持っていない。なぜ全集が必要かわからないからで、VDR盤や、LPのほうが貴重だと思っているからでもある。しかも、付録の切手シートだけコンサート会場で購入できたので実は満足である。

正直に言って、今回の選曲の方法が、「真梨子さんファン」とひとくくりにされていることが、やや残念である。
たとえば、
100回以上コンサートに行ったことがある人のリクエスト とか、CDを何枚か持っている人のリクエストとか、テレビで見て一度聴きたいと思っている人のリクエスト   etc
などという風に大変難しいわけ方であるが、集計を別にしてもらえたら、面白い結果がでると思う。これならある程度納得はできる。「HEART」や「OVER」を聴いたことがない方が、「ごめんね」を選ぶのも道理である。

ここで、あることを考えておきたい。それは、発表された作品の価値ということである。私は、真梨子さんの作品の多くやコンサート活動がひとつの芸術としての領域、ARTとしての神々しい領域に達しているかとの感覚を持っている。しかし、当然、コンサート活動を維持していくためには、膨大な経費がかかる。どんなに素晴らしい作品を制作しても、それを発表するための場所と時間と、そしてコンサートのPR活動そして、チケットの販売という経済行為がなければ、その芸術もただの自己満足に終始するかも知れない。作品が市場に受け入れられるという市場への汎用性は、作品そのもののARTと一見対極にあるようで、実は部分集合と補集合の役割を、バランスを保ちながら存在していると思うのである。

真梨子さんの作品は、売るためにつくっているのではなく、芸術的な領域のよさを多くの人が感じられるから、結果としてみんながCDを聞いてみたいと思い、だから売り上げにつながっているのである。この、ARTとしての芸術性と市場への汎用性のバランスをしっかりと私は見極めたい。


 


そこで提案である。ビクターが持っている膨大な音源をリミックスできないのであろうか? (私ですら、かなりのAIR CHECKの音源を持っている)別掲の「涙もろいペギー」のように、あのコンサート(のあの録音)で、全身が震えるような感動をしたという:のは、芸術性と汎用性を両立させるものであると信じている。現実に、BOXの特別付録CDが、LIVEのリミックスであったことを私は評価している。

もうひとつ工夫がある。千趣会が発表した、真梨子さんのBEST盤である。制作が1994年であるから、実はVERSEまでの楽曲でしかない。しかし、とても素晴らしい6枚組みである。

なぜなら、コンセプトがあるのだ。「真梨子を聴きながら飲むお酒」、「大人がゆったりと飲んでいるとき聞こえてくる真梨子の曲」という感覚である。各CDが、お酒の名前になっているし、なんといっても、コメントを寄せているゲストがまるで、かつてのTVの人気番組 RYU'S BAR に来店したお客のように真梨子さんの印象を語るのである。尾崎亜美さんや来生たかおさんであり、鈴木雅之さんであり、・・・・・とっても素敵なブックレット(左写真1994千趣会)がついている。

こんなちょっとした工夫をしてくれるのなら、今回のBEST盤は、芸術品として多くの方に愛されるであろうと思う。
大変僭越だが、真梨子さんの楽曲だから何でもありというのはバランスが崩れていると判断したい。しかし、そうであるとわかっていても、私は応援するために、真っ先に購入するはずである。真梨子さんのファンだからである。

 

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