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真梨子さんにとっての今の自然体
2018.11.25
東京国際フォーラムレポートその2
上の画像はペーパームーンの初期にグッズとしてあった、ジグソーパスルの箱の画像である。
まさに、当時のカッコいい笑顔のない厳しい真梨子さんである。
まさに鋭い感性という感覚である。
お母様との葛藤もあったし、「死」をテーマにアルバムを作るというのも珍しい。「永遠の魂」と言ったほうが良い。
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2006年から2014年くらいまでは、体力の減退と繰り返し起こる心理面の不調もあった。2008年の2回目のカーネギーホールの公演の打ち合わせと下見のために訪れたあのsongsの出演シーンでは、スタジオでは歌わず、「for you...」は、93年分の映像で流すだけであった。
「今の歌い方を聞いて欲しい」
「今の表現を感じて欲しい」
そういうコメントに、共感しつつも「for you...」を歌えない真梨子さんを心配したものだ。コンサートも会場での差、その日の中での波や揺れがあったのも事実である。
まさに、自分の命を削っての歌唱という状態であった。
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そして2015年10月の愛知芸術劇場。
極めて完成度の高いコンサートに、私は遭遇する。それは力の抜けた、力まない歌唱であった。
いや、力が入らない分、焦りも緊張もない、八分の力の歌唱であった。
全ての曲のディテールに乱れのない、丁寧な歌唱であった。
戻ってきたと感動した。
しかし、その後のコンサート仲間の報告では、その反動はあったようだ。
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去年の後半から今年2018年。
ほんの少しふっくらしたのか。
この間の男性曲のカバーアルバムでの、メゾソプラノの中低音を響かせる曲の歌唱が、真梨子さんを生き返らせたと思う。
そして、お母様との葛藤を自ら話すことで、心のわだかまりとひっかかっていた部分を整えてきた。
それは、舞台の上で実はもがいていた高橋真梨子というシンガーを
あまりにも厳しく客観視し続けた自分自身からの脱却でもある。
浄化である。
このプロセスで、真梨子さんはお母様を許し、そしてお母様を心の中で責め続けていた自分自身を許したのだろうと思う。
自分自身を許すという「 Katharsis」浄化。
仕事には厳しくても、ありのまま、今あるまま生きていく自然体。そんな少し心によい隙間のある自然体。
これが今の真梨子さんの自然体である。
2018.11.25東京国際フォーラム
このコンサートは、この10年間で最も完成度の高いコンサートであった。レポート①にあるように、20以上の良い点を列挙したので、ひとつひとつ確認していただけたと思う。
ではなぜ、そんな素晴らしい状況であるのか、それは真梨子さんの心の変化だと思う。
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1978年11月25日、「あなたの空を翔びたい」でsoloシングルデビューした真梨子さんは、アルバム「ひとりあるき」のなかで、日本語の歌詞を大切にしたい、そういう歌を唄いたいという思いでいた。そしてLiner Notesには、「どれだけ絵空事の恋愛を本物のように歌えるか」とも記載された。
まさに、当時のアイドル路線、歌謡曲、**大賞の賞レースとは、明確に一線を引いた「モノに動じない、我が道を行く」という意味での「自然体」の歌手であった。
私は、そんな真梨子さんを聞きながら、それは立ち位置の意味であって、真梨子さんの自然体は、「鋭い感覚に磨かれてそして描かれた心象風景を、ありのままに表現する感性に身を委ねる自然体」と表現した。
奇をてらわない、感情を押しつけない、そして今年真梨子さんが45周年を振り返って言葉にした、媚びない歌唱であった。
時として、その仕事に対する真面目さ真摯さは、本人を悩ませ苦しめた。1996年からの体調不良は、「約束」でも歌われているとおり、歌うのをやめざるを得ない状態を引き起こし、できていたことができなくなることでの失望が生まれたという。まさに、自分自身のアイデンティティと「歌手高橋真梨子という像」とのギャップを埋められない体調不良である。
それは、自分と相対峙した自己評価である。客観的に見るということの良さを超えて、マイナス面を強く浮かび上がらせる。当時を真梨子さんが振り返って言った「突然現れるお化けのような鬱」は真面目であるがゆえのものであったと思う。
この状態を救ったのは、「海色の風」でも歌われているようにヘンリーさんの看病と精神的なフォローであった。まさに寄り添い、出来ることからやってみる。代々木公園まで、坂道を自転車で往復したり、無理せず普段の普通の生活に戻していった。名曲「貴方と」や「not so bad」で歌われているように、当たり前のごく自然の生活の中にある感謝の気持ち。
自分のことをアナタとかアイツとか語ることも、必要であったと思う。その中で、見失っていた真梨子さんのアイデンティティは、生命のstarとして、彷徨う魂が真梨子さんの元へ戻ってきた。
厳しく向かい合い相対峙するのではなく、肩を並べて一緒に同じ方向を向いていくというありのままの自分。
いつしか真梨子さんの自然体は、今あるありのままの自分という自然体になった。
これが心の緊張感を無くし、体の強張りを解き、持ち前の弦楽器の音色、ヴァイオリンの音色のような艶のある奥行きのある歌唱を生んでいる。ピンと張り詰めた弦楽器の音は固い。適度の緩みが、音の広がりを作る。
それが、真梨子さんの笑顔に出ている。
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11/25のコンサートは、最高の完成度を見せてくれた。
今がBESTである。
言い訳でも、フォローの言葉てもない。
まだまだ「高橋真梨子の世界」は進化する。
まだまだ、だいじょうぶ である。
(2018.12.01記載)
追記/このホームページのTOPページが、ヴァイオリンを弾く女性であることを理解いただけたと思う。