Copyright ( C ) MDF 2007-2025 All Rights Reserved
2020年全国ツアー卒業の報に接して
3/4 15:17掲載
その後
いろいろと皆さんの動揺の声が聞こえてきます。でも、96年当時の真梨子さんの体調不良や、2011年のことを考えれば余力を残してこういう日が来ることも、真梨子さん自身の決断なのです。
一つのコンサートに多くのスタッフが関わっています。生活しています。それらすべてを41キロの真梨子さんが支えています。
ファンも、毎年真梨子さんのコンサートはあるものだと自然と思っているというのも、本来は頼り過ぎということです。ある意味、その英断を尊重することが真梨子さんへの恩返しなのです。
***********
MDF音楽館2014未来館は、いつしか真梨子さんの記念館を目指しています。
まして、ご本人は引退は否定しています。
全国ツアーはなくても、単発のライブであったり、アルバムのリリースであったり、
音楽番組への出演であったり、歌わないけどWOWOWのコンサートにコメントしたり、どなたかの歌い方のレッスンをされたり。また、ファンクラブ向けのイベントやお茶会にお出ましいただいたり。
ツアーで多忙でできなかったことを、ファンクラブでしていただけるかもしれません。
つまり、ここはひとつの通過点なのです。
そんなことを何となく体感していた私は、昨年来から音楽館の映像を含めたコレクションを整理していたのは既報の通りです。
もしかしたら、ステージを降りた後、みなさんと御一緒に真梨子さんにお目にかかれるような状況が生まれるかもしれません。これもまた未来のひとつのかたちです。
はい、今年のツアーの曲。
オープニングはソロデビューのあの曲。
2部のエンディングは感謝のあの曲。
そしてラストは、封印していた「HEART」と予想します。
でも、外れることで来年以降の期待をしたいというのもひそかな想いです。(*下記参照)
いずれにしても、MDF音楽館は今年も来年以降もずっと真梨子さんを応援し続けてまいります。
3/5 03:46
背負う荷物を降ろすということ
昨日も多くのファンの方が、どう向き合ってよいのか、その答えを求めて私の拙い意見を見にきていただきました。中には、まるで知っていたかのような編集スピード、寂しくないのか?という感じに取られた方もおられるかと思います。
でも私の経験値からは、部下を守るために生命を顧みず亡くなった恩人や職場を辞めた上司もいます。今思えばあのケースもそうだったのかと気づいていないこともたくさんあるでしょう。親子でもそうです。子どもの為に親は頑張るのです。
また、逆に介護もそうでしょう。多くの方が、先ずは自分でと思うものの、やはり専門者のお世話になることで肩の荷を降ろしつつ、無力さを感じるわけです。自分でと強く思えばこそ、その無力さは、罪悪感すら引き起こします。
私のこの20年は正に上記のような中で、
もがきながらconcertに行く日々でした。だからこそ、真梨子さんを応援するMDF音楽館や、このブログを造れたとも思います。
真梨子さんは、私の恩人のひとりです。
concert会場のバッグステージを見ると、本当にたくさんの裏方さんがいます。その方達の生活を支えています。
concertの後、あのか細いボロボロに放心した真梨子さんが支えてきたのです。
その恩人である真梨子さんが、肩の荷を降ろします。真摯に歌と向き合って来たというコメントが、せめてものわがままかのような謙虚さで語られています。だから私は落ち着いて受けとめたのです。
まして9か月間あります。
裏方のスタッフにも、その後の生活があります。決断にも真梨子さんらしい愛があります。
会報が届く前の発表です。
そして引退はしません。(*下記参照)
20年くらい前、ステージ降りたらライブハウスかな、本人は教えることが出来ると言っていたけどなんて、ファンの方と話したことがあります。
2015年ツアーの時にあと5年、それが昨年は来年20年がMariCovers2で、1枚アルバム挟んでファイナルかなと私は語ってました。前が当たってしまったのですが、昨年のコンディショが?の郡山以降の素晴らしかったステージは、肩の荷を降ろすことを決めたステージであったのでしょう。
スタンディングオベーションの真梨子さんのお辞儀の仕方にも、雰囲気が感じられました。concertレポートにも、伝説になるとか、生涯最高の出来とか自然に書いてます。そして高崎の時、決断してるかなと思うくらいの素晴らしい魂の鼓動が伝わってきたのです。書いてませんが。
と長々と書きましたが、千秋楽の翌日11月23日がどんな気持なのか、あまり先暗示せずに今年のconcertを楽しみたいと思います。
*3/7追記
オフィシャルHPによるとファンクラブも
21年3月で終了です。