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媚びないこと
2018/10/5 記載
2週間おきにいろいろとテレビのワイドショーネタが発生している。
森友追求の話など過去の事となってしまった。
でもそのワイドショーネタは、よーく見てみると、人が生きていく上で頻繁にあることである。
それは、「どう目標に近づいていくか?」という立場と「それはどうあるべきなのか」という立場のバランスが崩れた話なのである。
例えば会社の売上が落ちてきた。社員のレベルアップが必要だから、研修をすべきだという意見と、ちょっと待てそんな暇があったら1件でも多く訪問しろ! という経営側の立場との違いである。なぜなら、売上がなければ給料は払えない、みんな住宅ローンや子どもの教育費困るだろう? だから、研修は必要だけど、それは貴重な意見として聞いておいて、まずは頑張ってくれ! となる。
この売上中心の目標達成思考は、なんであるべきかの原点回帰思考と相容れない。
資源をどんどん枯渇するまで使って生産する直線思考と、地球環境のためには自給自足の農村型循環が大切という円環思考とでは、後者が大切なのは分かっていても、すぐには成し得ないことである。だから即効性のある方向に向かってしまう。
まずは大学内での立場を優先して反則プレーでも勝利を優先すること、金メダル獲得の名の元に強権的なリーダーシップを良かれと思って発揮するアマチュアスポーツ、まずは人気回復の為のスターが必要な伝統競技。
全ては、目先の目標達成だけが優先課題になってしまっている。
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あのSONGSで、真梨子さんはいいことを語っていた。
45年続けてこれた秘訣はの問いに、
「媚びないこと」「チャンスを掴むこと」そして「歌い続けること」と回答した。
ある意味、真梨子さんは、「どうあるべきか」の立場の歌手である。
ヒットの為に「どうすべきか」のスタンスで、放送局や市場に「媚びた曲」を歌う歌手ではない。
売れなくても、日本語の大切な歌詞を、真摯に表現したいという動機がある。
でも、それは、社会の中にあってみんながやりたくて、実はできないことである。
あのコブクロさんたちですら、ストリートミュージシャンである彼らを引き立ててくれた支援者の社長への感謝の思いもあり、必死に歌ってようやく自分たちの歌いたい曲をリリースできるような状況になって、最初に録音したのが何年も前からずっとストリートで歌っていた名曲「桜」なのである。
真梨子さんも、アルバム「DEAR」でようやく作りたいアルバムをリリースすることができた。だから、真梨子さんは音楽に厳しい、コンサートに厳しい。仕事として歌っている。
つまり職人である。
幸い、真梨子さんは伝統工芸品を作るような、技術職人ではなかった。愛とは何か、切なさとは何か、生きていくとはどういうことか。
全ての人に伝わる部分で、歌ってきた。
だから、多くの人に受け入れられて、地道に歌い続けて来ることができた。
とても稀有な存在なのである。
こういうことを最近のファンの方には、しっかりと体感して欲しい。
20年前、インターネットファンクラブ「てまり」の主宰者であったTKN氏は、真梨子さんのコンサートの後オフ会で酒が入りワイワイやるのを、とても嫌っていた。
でも、私の圧倒的な情報量と、そしてコレクション量と、そしてなにより真梨子さんのことを語りたいという思いは伝わり、私専用の掲示板を作成してくれるようになった。
その結果、多くのファンの方と真摯に交流できたことはありがたいことである。
これがグランパでの、うちわを持って立ち上がって応援するスタイルの始まりである。
「てまり」関東応援団である。
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その後ある思いがあり、また仕事環境の変化や体調不良、そして介護もありで、最近はオフ会にはほとんど参加していない。
残り少ない真梨子さんのコンサートの感動を、ひとりじっくりと落ち着いて体感し直したい。そんな思いにもかられる。
そもそも「あるべき」論から言えば、もっと多くの見知らぬ方たちにも、真梨子さんの素晴らしさを伝えたいというスタンスとなる。
そしていつしか、真梨子さんの博物館を作り、プログで語ってきている。まさに、これは20年前のオフ会の感覚である。おかけで、ニューヨークやベルリンからもアクセスがある。
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世の中、不景気である。みんな感じている。まだまだ、目標達成のノルマが圧しかかる。
せめて、歌の世界だけは、「人のあり方」に感じ入りたい。そんなシーンの中で、真梨子さんは媚びないで歌ってきた。
そんな真梨子さんを、私は応援し続けていきたい。