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musee
2000.5.24 VICL-60578
1.幸せのかたち
2.Bonita
3.蟹のつめ
4.Painter~アグリジェントへ戻りたい
5.Silent Love
6.デルタ
7.遠い夜明け
8.黙秘権
9.貴方と
バスで西でも東でも出かけると伝言を残した彼女。
実はその姿に真梨子さん自身が投影されていたのだと気づくのは、まさに病床にお母様を残しながら、全国をツアーで動いていた真梨子さんに苦悩が訪れて初めてわかったことであった。その意味で、ファンは無力な存在である。
「Bonita」
明日は西へ流れてく 当所ない
大地の風は 安らぎを癒す場所
人生をキャンバスになぞらえたのだろうか
それとも、恋しい人が亡くなったのになぜか明るいメロディーで教会に行くヒロインは
教会の周りに museeばかりであることに ようやく気づく。
「Painter」で表現されているアグリジェントは、故郷なのだろう。
かつて私はこのアルバムに対して
「蟹のつめ」 「デルタ」 「貴方と」が真梨子さんの生への根源的な問いと評したことがある。おそらく広島の海辺では素直になれるし、彼と彼女と私という関係が真梨子さんの親子関係であることは明白である。失恋の歌ではない。否、様々な人間関係をぼかしているから、奥の深い曲になる。
そして、人一倍寂しくて人一倍人恋しくて、いつも星空を見ていた真梨子さんがどうして多くの人を癒さねばならないのか
後年、「星の流れに」をカバーしたとき、
こんな女に誰がしたと真梨子さんが歌いあけるその瞬間が
とてもシニカルでとても切なく、私は思えてしまうのである。
その宿命・使命にも似た存在の存在性に、「貴方と」では
そういうアーティストの高橋真梨子としての存在(貴方)と向き合って生きていくと、広瀬まり子さん本人が述べているのである。
自分自身が「高橋真梨子」を構成している一員としての存在。
こういう表現は、95年から続く真梨子さんの自問自答へのある種の結論であった。
不思議だけれど 太陽に向かって 歩いて行けば解る
絶対 自分で自分の 影を踏めないの
だから自然に誰もが 前を歩いて行くのね
貴方のそばで私も やれるだけやるよ
そう 前向きになる
ずっと 生きてく 貴方と
この詞を、ヘンリーさんへのメッセージととるのが普通だが、私にはそのようには感じ取れないのである。
(MDF音楽館2007掲載文)
ちょうど数年前から世の中は、ミレニアムでいろいろと中欧的・宗教的な色合いで街がにぎわっていた。ビクターも、2000年「高橋真梨子プロジェクト」を組んでいた。ちょうど川上貴光著の「とびらを開けて」が出版され、4月8日銀座山野楽器本店で、真梨子さんの生い立ちからの写真展とベストアルバム「the best」リリース記念と「musee」リリース予告のトークイベントがあった。また山手線各駅で、真梨子さんの大きなポスターが貼られていた。ここまで、真梨子さんのプライベートが明かされるのは初めてであったし、10名ほどのファン仲間の皆さんと朝6時から本店前に並んだ。
真梨子さんの体調不良が始まって、3年がたっていた。あとで回想されていることだが、気持ちと体がバラバラで動かない、突然お化けのように鬱が襲うという話が出た時期でもある。
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このアルバムを単体としてとらえるか、それとも
それらの経緯の中でとらえるかでいろいろと意見は出てくるであろう。
96年と比べると、明らかに声質が変化している。
少し症状が安定しているときの録音であろうけれど、高音が出ていない。声が前に出ていない。苦しい感じである。本来ならここは低音を響かせるだろうというところも、響いていない。
でも、ここまで回復したのである。
私はそうとらえたい。その時はそれでよかったのだ。
経営管理をとらえる経済学者のPFドラッカーがなぜか精神世界についてこんなことを言っている。
「信仰とは、神において不可能が可能となる確信、神において時間と永遠が一体となり、生と死が意味を持つとの確信である」と。
神に許しを請い、神に背く愛を貫く歌を歌ってきた真梨子さんだが、突然歌えなくなった。
しばらくして、現実の自分を見つめることが少しできるようになった「高橋真梨子という作詞家」の言葉は、今という時間と永遠、生と死への畏敬の想いが溢れている。
そして、このアルバムの中に、いろいろと比喩的にそしてストレートに苦しみが表現されている。
それぞれの詞の中に、孤独と鬱の闇が込められてしまう。
真梨子さんはライトワーカーである。人の心を癒し、人の心に火を灯すその存在としての使命感と正面から対峙する彷徨してきた魂、「何が何だか解らず何をしたいのか解らない」そんな日々の生き方への不安。
それは、アルバム「two for nine」を受けて、私小説第2章というにはあまりに厳しい生きざまが、実はさらりと描かれている。
当時はそんなことを感じもせず、前年ツアーに続いて真梨子さんの姿を4月に見れた安心感があった。
しかし、私もこれ以降明確に、真梨子さんのことを書くときに、廣瀬まり子さん本人と高橋真梨子さんという像とを意識してとらえるようになったのである。
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1996-2000年。真梨子さんにとっては、まさに、大きなパラダイムシフトの時期である。
それは、CDジャケット自体が物語っている。ブックレットの表紙の高橋真梨子は、スターである。しかし、ピアノの前で物思うモノトーンの彼女は、廣瀬まり子さんである。
そして、それは月と太陽と地球の「地球」であり
彼と彼女との関係にある「私」でもある。
2020年、このように真梨子さんの音楽活動を大きく俯瞰して視てみると、1フレーズの囁きの中にある寂しさと、それに何とか向き合おうとするもがいていた真梨子さんの姿を感じてしまう。
だから、「夢を見ましょう」と真梨子さんが囁いていも、その「夢」がごく素朴なありふれた生活であり、
それこそが倖せであるという純な気持ちが伝わってくるのである。
(2020/12/24記載)