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もうひとりの「まりこ」さん
2010/11/06 神奈川県民ホール
そうか...10年前にこんな文章を掲載としていた。
たいていは、自然に出てくる言葉を書き込んでいるので、書いた感覚はあるのだが。
真梨子さん自身の使命を、一緒に体感しているコンサートであった。真梨子さんまで5m。その席でしか見えない姿があった。
(2020/12/14追加記載)
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この世には聖なるものが存在する。
カーネギーホールに何かの存在を感じると述懐されたのは真梨子さん自身でありそれは、音楽の聖、暖かくアーティストを見守ってくれる存在である。
真梨子さんのステージには、その音楽の聖、VOCALISTの聖がステージにいる。それは、実は真梨子さん自身の後ろ姿、パーカッションのガラスの仕切りに鏡のように映し出された後ろ姿である。
かつて宮原恵太さんが言われたように、背中が歌っているという存在である。その、異次元の「鏡の向こうの高橋真梨子」が、真梨子さん自身を守る音楽の聖に思えて仕方なかった。
いただいた席は、1-3-24番。通路側であり、真梨子さんから5メートル。視線をさえぎる観客はおらず、マイクロフォンが完全に背景の黒に隠されまるで、真梨子さんがマイクなしで歌っているかのような錯覚すら覚える。そして「ガラスの鏡」に真梨子さんの後ろ姿が映し出される。かつて、横須賀のコンサートで、グランドピアノにも映っていたあの聖なる存在である。
人一倍さびしい少女時代を過ごし、一番癒されたいはずの人なのに、人一倍歌がうまかったゆえに、一番他人を癒す歌を歌い続けている。 その、少し重い使命をもつアーティストの、生身の孤独な存在が、その聖なる姿に投影されている。
そして、後ろからのライトが真梨子さんを包むとき、真梨子さんの輪郭と誰でもわかるあのシルエットが、黄金に輝くときがある。あれも、聖なる真梨子さんの存在の存在性を別の形で表現しているように思えてならない。
後方席では、どうしても客観的にみてしまうコンサート。今年初めて、コンサートに参加させてもらったさんな感覚である。
3メートルの目の前で、真梨子さんが嬉しそうに微笑んでいた。
この席は偶然の抽選の産物なのだろうか。偶然というには、でき過ぎである。
なぜなら私は、高橋真梨子さんの賞讃者であるからだ。
音楽の聖はお洒落なプレゼントを時折届けてくれる。
カーネギーホールの鉛筆しかりである。
いずれにしても、こういう感動を長く伝え続けたいと思うのである。それが、音楽の聖VOCALISTの聖と遭遇したお礼であると思っている。
(2020/12/14一部改訂)