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香港公演 そして tiptop
1997.11.01香港レパルス湾。レストラン「ヴェランダ」の噴水の前で、妻がにこにこしながら真梨子さんに問いかけた。
「真梨子さん、ギター弾くんですね ?」
「ええ、カプリシャスの時から弾いているんですよ.....」と微笑んで答えてくれた。
これが、私の人生を変えた女性2人の初めての会話である。
(C) trip note
96年秋に、公式ファンクラブ PaPer Moonが発足した。
東京厚生年金会館でのあのコンサートの出来事がかなり衝撃的であったので、6か月後の4月へ会員期間のスタートを変更するというお知らせが来たが納得してしまった。
そんな中で、4月半ばの日曜日に、ニューオータニでペーパームーンパーティを開催するというお知らせである。93年94年とダイレクトメールを事務所から頂いていたのに、当時は仕事が多忙でとても行くことはできなかった。
よって、今回はすぐに申し込んだ。
今なら、抽選漏れということもあるだろう。
実際2018年の日本橋でのコンサートはかなり多くの方が涙を飲んでいる。
フィルムカメラを点検して、開演1時間前には会場である芙蓉の間の前で待っていた。しばらくして、ヘンリーさんと真梨子さんが10メートル前を進まれ、控室に入っていかれた。
何度も握手しているのに、やはりステージ上の真梨子さんとは異なり小柄である。
受付が始まり、通路には東京音楽祭の金賞トロフィーや日本レコード大賞から贈呈されたゴールドディスクや、ビクターからのニッパー型の表彰トロフィー、そしてステージ衣装が展示されていた。
中は、12ほどの丸テーブル。1テーブル8-10人である。
そして、いただいた座席に進むと、そこは最前列の右側しかも体をひねることなく正面の真梨子さんのテーブルまで6m
の席であった。
開演前は、TBSの「合言葉は音楽気分」の映像が音声なしで流れていた。
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ややイエローのパンツスーツの真梨子さんは、もちろん少しやつれていて、髪はショートである。
かつてのP&Cの時のように、ヘンリーさんがメインMCという感じて、進行役のスタッフとやり取りを進めながら真梨子さんが語るというものである。
50分くらいのトークと、じゃんけん大会、テーブルごとの写真撮影という進行であった。
そして、この中で「いろいろと次の公演先の候補やオファーが来ているが、たとえば演歌の****さんや、ポップスの***さんも最近海外で公演されていて......ウィーンとか香港とか候補なのだけど...と言うことで、11月に香港で公演することが決まりました。」と発表があった。
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はい、この瞬間、夏休みを10月末から11月の頭に移動することが確定したのであった。
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THE CONCERT 1990-2000
香港博覧中心は、いわば国際展示会議場である。
7月に返還式典があり、メインのステージの後ろは、九龍島の海を向いている。シドニーのオペラハウスの様でもある。
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ツアー発前日、成田空港まで夕刻に到着し、ANAホテルに宿泊することにした。翌朝、朝食のレストランで、見覚えのある方を中心に歓談されているグループがあった。
真梨子さんのお母様であった。
朝食の料理が並ぶところで、軽く会釈をした。
そして、空港までの送迎バスは同乗である。
出国手続き後のエリアでも、神田で料理店を開いている実弟の真梨子さんの叔父様たちや、福岡の知人の方たちと楽しく歓談されていた。
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ANA機内では、音声サービスでtiptopから数曲が流れていた。
3時過ぎに香港に到着。当時の啓徳空港は、世界一着陸が難しい空港で、ビル街を見ながら急旋回して高度を落としていくのであった。
3泊4日のツアーは、公演とランチパーティが中心であり、あとは自由時間と市内観光である。
部屋番号は620号室。
初日の夜は、早速地下鉄とケーブルカーを使ってビクトリアピークで夜景を鑑賞した。夜は、ツアー客の泊まるセンチュリー香港ホテルの名店て上海ガニを食した。
翌日は、午後3時くらいまで、市内観光。ランチも、お母様の
周りは華やかである。
ホテルロビー集合は、午後7時。
コンサートの開演は8時である。
いただいた席は、最前列の左スピーカーの前であった。
120名の参加者が、ほぼ3列目までの中央に陣取っている。
ステージはやや高い。
とにかく、国際展示場である。大きな体育館という感じでもある。椅子は普通のパイプ椅子。もちろん緞帳はない。
セットで、海に面する壁のガラス部分はおおわれている。
ほぼ定刻通り、かなりかっこいいオープニングの演奏でスタート。
チャイナドレス風の真梨子さんがステージに現われた。
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終演後、ホワイエでアフターコンサートパーティが開かれた。全日空ワールドの後援社挨拶の後、ヘンリーさんと真梨子さんが挨拶した。
幸運にも5メートル前である。
「明日はランチパーティで、愉しみましょう!!」とヘンリーさんが盛り上げてくれた。
ホテルに戻ったのは、午後12時前であった。
日本時間で、深夜1時前である。
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翌日の土曜の朝 自由散策。
昨晩のコンサートのことを想いながら、ホテルから15分ほど歩き、博覧中心のそばの海辺で、カモメの鳴き声を聴きながら、九龍島の対岸を眺めた。
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ランチパ-ティは、高層ビルが並ぶ香港島の北側ではなく、ビクトリアピークを越えた、南側の別荘の並ぶレパルス湾の海辺である。
レストラン「ヴェランダ」はその白砂の海岸に沿うように横長に建てられたもので、映画「慕情」の舞台である。そういえば、この時期、香港映画や名画が放送されていたを思い出す。
いただいたテーブル番号は、海に面して、左側の奥のテーブルであった。テーブルは、ひとつしか横に並ばない10人掛けの円卓なので、中央の舞台まではほぼ20mくらいある。
残念だなと思っていると、なんと「おはようございまーす」と笑顔で、真梨子さん、ヘンリーさん、バンドメンバーの皆さんが進んできた。
そう、私のテーブルから、5m先が真梨子さんのテーブルであった。またしても、直線で真梨子さんがずっと見える。
真梨子さんが通路でいろいろと話しているのも聞こえる。
真梨子さんさんが、私のカメラを見つめてくれた。
実は、私のコレクションにはこういう非公開のアルバムがたくさんある。
サービス精神旺盛なヘンリーさんが、反対側の一番離れたテーブルから順に挨拶して廻り、握手してくれた。
そして11月1日でもあり、お誕生日の花束贈呈などお母様とも仲良くされていた。
後年、真梨子さんはいろいろな葛藤の告白をしている。
しかし、どう見てもその告白は脚色されたもののように感じられる。それは、このツアーを通じてお母様が常に倖せそうであったからである。だから、別掲の記述のように、そういう葛藤は誰にでもあること、と私はとらえたい。
「まり子さん」も普通の女性なのである。
そして既に、お母様が亡くなられた年齢を真梨子さん自身が超えている。
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暖かい柔らかい午後の日差しの中、噴水の前で、テーブルごとの記念撮影と集合写真。
ホテルに着いたのは夕刻であった。
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夕食の後、文字通り海底を地下鉄で九龍島にわたり、有名なペニンシュラホテルに立ち寄り、その後対岸の香港島と香港博覧中心を見た。
ずっと真梨子さんの曲が脳内再生されていた。
そして対岸までのフェリーに揺られて、香港島に戻る。
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香港の夜景の中に、真梨子さんの曲が 溶け込んだ ?
いや、このツアーでは、さまざまなシーンや素敵な夜景が、真梨子さんの曲の中に溶け込んでいったのである。
そんなフレーズをツアーの感想に書いた。
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「香港ではありがとうござました。」
11月末の東京厚生年金会館のコンサートで、プレゼントの時間に、いつものリボンを付けたウイスキーのボトルを渡し
ながらお礼を言った。
「いいえ...どうもありがとう」
12月にWOWOWで放映された、ツアーのラストシーン。
それは、その日の東京厚生年金会館で撮影されたペンライトの揺れるシーンが含まれている。最近のコンサートはペンライトがと10年前からヘンリーさんが語っていたものだ。
そして、香港の夜景が、水面に映って揺れる真梨子さんの姿に重なって「海色の風」の曲の中に溶け込んでいった。
そんなタイトルバックであった。
(2021/05/18記載)