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20年後に改めて聞くと

2002.12.02の東京国際フォーラムに合わせてのインタビューである。

その真梨子さんの姿はカッコイイ、そのものである。

20年後の東京のラスト公演が終わった後に見てみると、この時の想いからさらに20年も歌い続けてくれいることに感謝しかない。ここでは、インタビューのエッセンスを記載したい。

自然体について

 

「よく、私のことを自然体だという人や、書いたものを見ることがある。

でも、その自然体ってなあにと。なんか、自分のやりたいようにやる、あるがままに唄うというのが自然体であるなら、私のは自然体ではないと思う。

私にとっての自然体は、自然体であろうとすることで、なんか無理をしている、言ってみれば芝居している感じ。実際苦しい時もあるし(微笑)。

​もし、自然体に見えるのならば、私のお芝居がうまくいったということなのかも、少しオーバーだけど。」

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そして、2002年当時は何となく感じていたものの、今読むと、これはお母さまへの言葉なんだなと感じる質問。

感謝

「もう、忘れたことはない。

たとえどんなに暴言を吐いたとしても、最後には自分からごめんと言ってしまう。その時はわからなくて、ついついわがままを言ってしまうこともあったけれど、感謝の気持ちは忘れたことはない。自分の心の何では、すべてに感謝したい。だって、こんなに唄わせてもらってるんだから。すごくありがたいことだなぁとつくづく思います。他のことも何もしなくても唄ってこれた、こんなに恵まれた歌手はいないと思う。まず聴きに来ていただいているお客様に感謝、そしてスタッフに感謝、こんなところでどうかと思うけれど両親に感謝。そして、少し恥ずかしいけれど、

​まじ 感謝している。」

年齢

「今の状況を見ると、プレサッシャ―がかかっているのは事実。私は、スーパースターでもないし、ただひたすら長く唄ってきた単なる人なんです。

ただ、自分でやめなくてもいいかなって思う。唄っている。唄わせてもらっている。声もそんな若い時と違って衰えてくるのも確かだし、年齢にマッチした自分でやってきているんですけど、こんな自分ですが、いつかどこかで、君やめてもいいよってなんか指令の声がくる感じがしてます。」

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(C)WOWOW2002
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枯れない花

 

「枯れない花って、実際はないけれどあっていいと思う。

それは心の話であって、顔の表情とか、雰囲気とかで、なんかこの人枯れていないなぁ、そういう生き方をしてみたいと思っているんです。

でも、それは無理かもしれないけれど、せっかく女に生まれてきたんだから、なおさら枯れないような生き方をしてみたいです。」

そして、真梨子さんは「私はコンサートを構成する一員」というようになる。
この5年後の2007年、私は真梨子さんの自然体を「真梨子さん自身の感性に身を委ねた自然体」と表現した。
20年前に、「芝居」という言葉を発していたのは、広瀬まり子さん独特の感性であろう思う。(2022.11.29)

(C)THE MUSIX  撮影/ 田中聖太郎氏
time of love2002
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