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♫「ありがとう」を聴いて思い出すこと
(c)THE MUSIX 2015ClaChic
私は幸せだ。
併設Blogでは、2015年8月28日の相模大野での真梨子さんとの「魂の邂逅」を、よかったら読み返してほしいと述べている。
それは、自分だけは「真梨子さんのこと」を書き続けるという思いであった。
そして、5ヶ月後の1月中旬の土曜日の朝11時頃、その思いは.........新たなステージに進んでいく。
私が、単なるメモでの控えではなく、しっかりと真梨子さんのことを書き始めたのは、40年以上前になる。
「魂の邂逅」でも述べたように、数多いアンケートの中から抽選で、サイン入りコンサートパンフレットが当たるということは、確かに幸運ではあるが、実はきちんと感想を書いたからだと今でも思っている。
その見えない「つながり」は、その後の座席の位置や、コンサートのセットリスト、そして演出にも現れてきたかもしれない。
本格的にインターネット上で発表したのは、1998年であった。まだ、インターネットもようやく普及し始めたころで、メールで盛り上がる時代である。
その中に、「高橋真梨子インターネットファンクラブてまり」があった。もちろん私設である。正直なところ、私が突然、その掲示板に書き込み始めて、誰? 何者?と思われていたらしい。その、持っていた情報量と、当時のかなり固い表現がそうさせていた。
今と異なり、あくまでもインターネット上のお付き合いであり、年齢も職業も関係ない。
主催者のTKN氏は、岡山在住であったこと、ご多忙であまりコンサートに行けない方であり、コンサートよりもアルバム鑑賞が比率的には高い方であった。そんなことから、当時の真梨子さんのホームグラウンドであった新宿・東京厚生年金会館のコンサートでは、関東の応援団が自然とグループを作るようになっていった。
もしかしたら、TKN氏も寂しい思いをしていたのかもしれない。私も多忙でなかなかコンサートに行けない日々が続いたこともある。
そのような、何かの共感があったのだろうか、私独自のコーナーを設立してくけた。
「てまり文化センター」「MDFの思い出コンサート」など、私がアンカーマンである。
全く面識はない。あるとすれば年賀状と書き込みの上でのやり取りだけである。
(c)THE MUSIX 2015.5
2022 our Days
しばらくして、てまりが解散となった。これは、多忙だからということであったが、一つは関東応援団がほぼ独立していたこと。そして、私は知っていたが奥様を看病されていたからである。
関東応援団は、その後LIONSさん主催の
mary's tours にスケールアップした。
そして、その後私は、2007年にこのウェブサイトの前身である「MDF音楽館」を設立した。その際は、TKN氏にも公開前のページを見ていただき、いろいろとアドバイスしていただいた。
その後は、年賀状そしてBlogへのコメント返信のお付き合い。
「いつも音楽館見てますよ」
「今年はコンサートに行けそうです」
「倉敷公演、素晴らしかった」
「今度は大阪に行こうと思います」
「体調大丈夫ですか? 現代サラリーマンのストレ スですかね」
そして、2012年に添えられた言葉は
「ありがとう、いい曲だね。」
そして、奥様がなくなられていたことを後で知った。それから、数年間の普通のやり取りと、印刷された文字だけの年賀状になっていった。
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真梨子さんにコンサートの後にご挨拶できると知ったのは、2015年の8月11日である。
夏の暑い日、クロアゲハに導かれながら鹿島神宮の奥宮や摂社を参拝していた日であった。
そして、8月28日真梨子さんに会えた。
その年は、初めて10月の愛知芸術劇場のコンサートに出かけ、BEST1といえる公演に遭遇した。
「MDF音楽館2014未来館」も2年目にして、いろいろと工夫をしだしたところである。
そんなお礼の言葉を、年賀状に書いた。
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3週目の土曜日の朝である。
年賀状が届いた。TKNさんからである。
いや、普通はがきである。
そして見慣れないお名前であった。
「ご返信が遅れました。
父は昨年の8月に亡くなりました。
最期まで、真梨子さんを聴いていました。
いままで、お世話になり、
ありがとうござました。」
転送先のお嬢様からであった。
私が、真梨子さんに会えると知ったころに、亡くなられていたのである。
こういう時間の流れは、とても皮肉だ。
このウェブサイトも当時と比べてさらにお洒落にしようとしている。氏が見たらなんてコメントするだろうか?
なぜか別れの時は、晴天。
私が23歳の時に母が亡くなった時も、
介護していた父が亡くなった時も、
そして一昨年姉がなくなった時も。
野辺送りの日は、いつも晴れている。
その土曜日の朝も晴天であった。
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♫「ありがとう」は2011年アルバム「SOIREE」収録の作品である。
あの3月11日の夜、長い道のりを歩きながら夜空を見ると、何事もなかったように、東京でも多くの星が輝いていた。
その年、真梨子さんは、極度の体調不良で最後まで公演できないのではと、みんなで心配していた。そして、秋の大宮ソニックシティで少し持ち直し、ラストの東京国際フォーラムでは、「元の踊り子にまた戻れるわ」のフレーズが、とても心に響いたのだった。
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その♫「ありがとう」が、Last Dateのオープニングだ。コンセプトに、「明日への希望」がキーワードにあると言ったのは、まさにこの2011年があったからである。
座席が後ろ? コンサートになかなか行けない?
でも、真梨子さんの歌声は今も聴ける。
そして、関東応援団の方々と今もお目にかかれることもありがたいことである。
真梨子さんを今聴ける。
私は、そして皆さんは、幸せである。
コンサートで真梨子さんがそばにいる「倖せ」も体感できるのである。
そんな思いを持ちながら、
あきた芸術劇場ミルハスまで、しっかりと心に響かせていきたいと思う。
(2022.01.31記載)